今まで抱えたいた物がなんだったのかな?って思えて読みながら泣きました。
私は自分自身に×印をつけるのがホント多かった。
みんながうらやむと思うような会社に働いてきても、働いてる人を見て「人間として何か大事な感情を捨てるな」と思っていたり。
でも、そう思う会社の中で楽しんで仕事してる人がいるのを見て『自分はなんであんな風になれないのだろう。ダメな人間だ』と思って生きてる部分が多かった。
かつては同じ会社で働いていた彼女は私は給料も休みも多い会社で働いてる私を見て最初は「良かったねぇ」って言ってくれてたけど、彼女の方は派遣だったりしか繋ぐことができないようで
仲良よくしていたころに職場での悩みを打ち明けたら「うんうん」聞いてくれて
でも彼女も仕事での限界であった時期に会ったときに、職場での悩みを言った内容をそのまま返してきて「そんなんだから人から嫌われるんじゃない?」って言われてしまい。すごく仲良くさせてもらっていたのでショックでした。
その後・・・結婚するときにも「楽できていいね」と言われたので、無理と思い距離を取らせてもらいました。その後は不明です。
そんな経験の中で私は同級生とか同じクラスメイトと仲良くすることができない人でした。
だから高校までのクラスの中で浮いていたり、いじめの標的にされるのは普通でした。その中で私がモヤモヤしてる物を常にもっていて「同級生の中でみんな同じよね」って価値観を持ち続ける限界がいつもありました。
先輩と話した。違う学校の人と付き合ってる。社会人の彼氏がいる。
そんなこと誰と話そうか、誰と付き合おうなんてたまたま一緒になっただけのクラスメートに言われたくないし、心無い言葉に傷つく意味がわからなくて。
みんな私に何を求めてるの?って叫びたい気持ちでいました。
学校には逃げ場所がない私だったので、行くだけで卒業するだけ。
同じ頃、近所で不登校の子がいてその子の話で近所中噂の嵐。
私もいつ不登校になるかわからない状況で母は次はウチが噂の標的だろうと思っていたのでしょうね。
「○○ちゃん(不登校の子)みたいになりたいの?」って・・・お願いだから普通の子でいて。と言ったように感じました。
家にも逃げ場所なし。
学園ドラマで見る
仲良し三人組みたいな女の子を夢見ていたけど・・・。
そんな経験もないまま大学生になりました。
生まれた場所には未練もなく、早く新しい場所に憧れて知り合いもいない、親もいない環境がどんなにうれしかったか・・・。
今でもよく覚えてます。
離れても、最初は幼馴染なんかとは実家に帰ったときは話したりしていました。
そこでも「会社の上司が仕事してないっていうのよね」とかの愚痴を聞いて「仕事してない???」聞くと朝も時間ギリギリ。「上司に引き継ぎノートを書け」と言われていても「言えばいいから作らない」とか
「そんな話に付き合ってる意味はなんなんだろう」とモヤモヤ。
その中で自分のしてることを正しいと思ってる自信ってどこから来るんだろう?と不思議でした。
そんな会話に意味もなくあっさりと地元の人は捨ててしまいました。
捨てる間際や直後は私は悪いことをしたと自分自身に×印をつけていました。
新しい土地での生活の中で職場の人が「友人の結婚式」とかで有給を取ったりしてたのを影ではうらやんでいました。
こんな私は結婚式に呼ばれるような友人がいませんでしたから
「結婚式に来ていく服やいろいろお金かかるんだよね」って言ってる人が羨ましくて・・・。
自分から(相手から)縁を切った関係なのに、少しのことでうらやましいと思ってしまう私がいました。
そして、こんな友人もいない私はダメ人間で×印をつけていました。
今回、小島慶子さんの本を読んで
私には学園ドラマでよくある仲良し三人組の女子が友情だと勝手に思っていたこと。親との関係ですごく悩んでいた自分だけと思っていたけど(恐れ多いが)小島慶子さんも同じだったこと。大好きな仕事が出来ない環境になって社会から必要とされていない自分だからこの先も真っ暗だと勝手に思っていたこと。
日経に出てくるような家庭も仕事も頑張れる女性になれないのだから子供は産んでもダメな私には子育てが出来ないのだと思っていたこと。
こんな自分ですが・・・、本当に困った時には知恵をくれる人が誰かはわからないけどいてくれること(このブログの中で会ったこともないのにアドバイスやコメントがあること)
×印をつけていたばかりの私だけど「人間関係の経験なんかは僕なんかよりも上だよ」と言ってるくれるダンナさん。
遠くにいるけど、都心にいることで新しい考えや知恵をくれる友人。
×印をつけていた私は大丈夫だったんだと思えました。
私は自分自身に×印をつけるのがホント多かった。
みんながうらやむと思うような会社に働いてきても、働いてる人を見て「人間として何か大事な感情を捨てるな」と思っていたり。
でも、そう思う会社の中で楽しんで仕事してる人がいるのを見て『自分はなんであんな風になれないのだろう。ダメな人間だ』と思って生きてる部分が多かった。
かつては同じ会社で働いていた彼女は私は給料も休みも多い会社で働いてる私を見て最初は「良かったねぇ」って言ってくれてたけど、彼女の方は派遣だったりしか繋ぐことができないようで
仲良よくしていたころに職場での悩みを打ち明けたら「うんうん」聞いてくれて
でも彼女も仕事での限界であった時期に会ったときに、職場での悩みを言った内容をそのまま返してきて「そんなんだから人から嫌われるんじゃない?」って言われてしまい。すごく仲良くさせてもらっていたのでショックでした。
その後・・・結婚するときにも「楽できていいね」と言われたので、無理と思い距離を取らせてもらいました。その後は不明です。
そんな経験の中で私は同級生とか同じクラスメイトと仲良くすることができない人でした。
だから高校までのクラスの中で浮いていたり、いじめの標的にされるのは普通でした。その中で私がモヤモヤしてる物を常にもっていて「同級生の中でみんな同じよね」って価値観を持ち続ける限界がいつもありました。
先輩と話した。違う学校の人と付き合ってる。社会人の彼氏がいる。
そんなこと誰と話そうか、誰と付き合おうなんてたまたま一緒になっただけのクラスメートに言われたくないし、心無い言葉に傷つく意味がわからなくて。
みんな私に何を求めてるの?って叫びたい気持ちでいました。
学校には逃げ場所がない私だったので、行くだけで卒業するだけ。
同じ頃、近所で不登校の子がいてその子の話で近所中噂の嵐。
私もいつ不登校になるかわからない状況で母は次はウチが噂の標的だろうと思っていたのでしょうね。
「○○ちゃん(不登校の子)みたいになりたいの?」って・・・お願いだから普通の子でいて。と言ったように感じました。
家にも逃げ場所なし。
学園ドラマで見る
仲良し三人組みたいな女の子を夢見ていたけど・・・。
そんな経験もないまま大学生になりました。
生まれた場所には未練もなく、早く新しい場所に憧れて知り合いもいない、親もいない環境がどんなにうれしかったか・・・。
今でもよく覚えてます。
離れても、最初は幼馴染なんかとは実家に帰ったときは話したりしていました。
そこでも「会社の上司が仕事してないっていうのよね」とかの愚痴を聞いて「仕事してない???」聞くと朝も時間ギリギリ。「上司に引き継ぎノートを書け」と言われていても「言えばいいから作らない」とか
「そんな話に付き合ってる意味はなんなんだろう」とモヤモヤ。
その中で自分のしてることを正しいと思ってる自信ってどこから来るんだろう?と不思議でした。
そんな会話に意味もなくあっさりと地元の人は捨ててしまいました。
捨てる間際や直後は私は悪いことをしたと自分自身に×印をつけていました。
新しい土地での生活の中で職場の人が「友人の結婚式」とかで有給を取ったりしてたのを影ではうらやんでいました。
こんな私は結婚式に呼ばれるような友人がいませんでしたから
「結婚式に来ていく服やいろいろお金かかるんだよね」って言ってる人が羨ましくて・・・。
自分から(相手から)縁を切った関係なのに、少しのことでうらやましいと思ってしまう私がいました。
そして、こんな友人もいない私はダメ人間で×印をつけていました。
今回、小島慶子さんの本を読んで
私には学園ドラマでよくある仲良し三人組の女子が友情だと勝手に思っていたこと。親との関係ですごく悩んでいた自分だけと思っていたけど(恐れ多いが)小島慶子さんも同じだったこと。大好きな仕事が出来ない環境になって社会から必要とされていない自分だからこの先も真っ暗だと勝手に思っていたこと。
日経に出てくるような家庭も仕事も頑張れる女性になれないのだから子供は産んでもダメな私には子育てが出来ないのだと思っていたこと。
こんな自分ですが・・・、本当に困った時には知恵をくれる人が誰かはわからないけどいてくれること(このブログの中で会ったこともないのにアドバイスやコメントがあること)
×印をつけていたばかりの私だけど「人間関係の経験なんかは僕なんかよりも上だよ」と言ってるくれるダンナさん。
遠くにいるけど、都心にいることで新しい考えや知恵をくれる友人。
×印をつけていた私は大丈夫だったんだと思えました。
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